コモンウエルスゲーム・マラソンは酷暑の中だった。
ボストンはその反対、雨、強風、寒さである。
この気象条件でトップのキルイは40km前で戦意消失。
倒れ込んでしまうことはなかったが、全力で走ることができなくなっていた。
走ると歩くの中間あたりで軽いジョギングレベルにダウン。
はるかに遠かった川内はみるみる近づいてきて、抜き去っていった。
これに全く反応しなかった。
たった2.2キロでなんと2分半の差がつくほどで、キルイはどうやらこうやら2位を確保したといった状態であった。
今年初めマイナス17度の中で走っているアイアン・ランナーにとって、この程度の気象条件は最良ということなのだろう。
『
https://www.youtube.com/watch?v=xqQqWDAVGWA
● Boston Marathon 2018 Highlights
』
4/17(火) 1:27配信 日刊スポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180417-00181798-nksports-spo
川内優輝ボストンマラソン初V!
瀬古以来31年ぶり
●ボストンマラソンで初優勝した川内(AP)
<第122回ボストン・マラソン>◇16日◇米ボストン
やはりこの男は強かった。
9位だった昨夏の世界選手権で日本代表からの引退を表明した男子マラソン川内優輝(31=埼玉県庁)が現地時間16日、世界最高峰シリーズ「ワールド・マラソン・メジャーズ」の一つボストンで2時間15分58秒(速報値)で優勝した。
日本人の優勝は87年瀬古利彦以来31年ぶりの快挙だ。
冷たい雨が降り注ぐコンディションだった。
渡米前の羽田空港で、前半は「目立たないように」と集団に潜むプランを描いていた。
しかし、宣言とは違い、スタートからダッシュで飛び出す、大逃げ策を敢行。
中間点を先頭集団の中で1時間5分59秒で通過し、その後も持ち味の粘りを発揮した。
40キロでは昨年優勝で、先頭を走っていたジョフリー・キルイ(ケニア)と20秒差の2位。
ラスト2・195キロで逆転し、2分25秒差を付ける圧勝劇だった。
前回大会は大迫傑(26=ナイキ・オレゴンプロジェクト)が日本人30年ぶりの表彰台となる3位。
日本勢は2年連続の表彰台となった。
出場の経緯は意外な縁だった。
代理人であるラーナー・ブレッド氏が昨夏、大学の先輩に当たる同マラソン3連覇のビル・ロジャース氏(米国)と野球の米大リーグのレッドソックス-マーリンズ戦を観戦。
その時、ロジャース氏が川内へ向けて、ボストン出場のラブコールをした。
その動画をブレッド氏からもらった川内は「偉大な選手から呼んでいただけるのはうれしいこと」と30分以内に出場する意向を伝えたという。
昨年末にはコースを試走。
122回の世界的にも伝統あるレースでサプライズを起こした。
ただボストンは国際陸連が求める条件を満たしていない片道コースのため、公認記録とはならない。
』
ラスト2.2キロという距離で2分25秒の差が付けられるものだろうか?
記事を読んだときの素朴な疑問であった。
2.2キロなら7分で行かれる。
2位のランナーはそこから9分半かかったことになる。
本当だろうか。
事実は小説より奇なり、である。
youtubeに載ったマラソン全放送中継を見てみた。
こういうこともあるのである。
デフェンデイングチャンピオンのキルイのラストの走りはジョッギングすらにも届かないほどであったということなのだろう。
『
●Maratón de Boston 2018
』
『●Maratón de Boston 2018
』
AFP=時事 4/17(火) 12:44配信
http://www.afpbb.com/articles/-/3171379?cx_part=top_category&cx_position=1
川内がボストン・マラソン制覇、
日本人では瀬古氏以来31年ぶりの快挙
【AFP=時事】第122回ボストン・マラソン(2018 Boston Marathon)が16日、30年ぶりの寒さと強風に見舞われた米ボストン(Boston)で行われ、男女ともにサプライズの王者が誕生。
男子では川内優輝(Yuki Kawauchi)、女子では米国のデシリー・リンデン(Desiree Linden)が優勝した。
日本人選手が優勝したのは1987年に瀬古利彦(Toshihiko Seko)氏が2度目のタイトルを手にして以来、31年ぶりにして8人目の快挙。
リンデンは米国の女子選手として1985年以来の優勝者となった。
激しい雨が降りしきるなか、スタートで勢い良く飛び出して最初の1マイル(約1.6キロ)を4分37秒で走った川内は、レース終盤に前年覇者ジェフリー・キルイ(Geoffrey Kirui、ケニア)を追い抜くと、最後の1マイルは5分8秒で走り切り、2時間15分58秒を記録した。
キルイが2時間18分23秒で2位に続き、米国のシャドラック・ビウォット(Shadrack Biwott)が12秒差で3位に入っている。
31歳の川内は通訳を介して「自分にとっては、最高のコンディションだった」とすると、「人生で最高の日。ここはボストンで、世界最高のレース」と感極まりながらコメントした。
出場したフルマラソン大会では昨年の防府読売マラソン(Hofu Marathon)に続き、今年は米マサチューセッツ(Massachusetts)州マーシュフィールドで開催されたニューイヤーマラソン(New Year's Day Marathon)、北九州マラソン(Kitakyushu Marathon)、台湾で行われた新北市万金石マラソン(Wanjinshi Marathon)を制しており、川内はこれで5大会連続での優勝を飾っている。
女子の部を制したリンデンは、20マイル(約32キロ)過ぎにボストンマラソンの代名詞となっている「ハートブレーク・ヒル(心臓破りの丘)」でエチオピアのマミトゥ・ダスカ(Mamitu Daska)らを抜き去り、そのままリードを維持して2時間39分54秒でフィニッシュラインを通過した。
2位には同じく米国のサラ・セラーズ(Sarah Sellers)が2時間44分4秒で続き、カナダのクリスタ・デュシェーン(Krista Duchene)が3位だった。
』
『
4/17(火) 7:06配信 デイリースポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180417-00000025-dal-spo
川内優輝が劇的大逆転で31年ぶり日本人V
極寒も「私にとっては最高のコンディション」
伝統のレースがスタートし、初出場の“最強市民ランナー”川内優輝(31)=埼玉県庁=が、日本人としては1987年大会の瀬古利彦以来31年ぶりとなる優勝を飾った。
度肝を抜いた。
強く冷たい雨が降る悪コンディションの中、スタートから猛烈なスタートダッシュで飛び出し、後続を大きく引き離す“大逃げ”を敢行。
テレビ解説も思わず「クレイジー」と話す果敢な走りで序盤の主導権を握った。
その後、一度は集団に吸収されたが、その後、2番手集団で粘りの走りを見せると、35キロ過ぎから1人飛び出していた世界王者のキルイ(ケニア)を猛追。
1分30秒あった差を残り2キロで逆転し、そのまま先頭でゴールテープを切った。
テレビ解説が「アメイジング!」「アンビリーバブル」を繰り返す圧巻の走り。
快挙を成し遂げた公務員ランナーは、両手を掲げ「うぉー!っしゃ」と、声にならない声を上げた。
インタビューでは「前だけを向いて走った。それが勝利につながった」と涙ながらに語り、極寒のコンディションにインタビュアーから
「最悪のコンディションだった?」と問われたが
「私にとっては最高のコンディションでした」と、笑った。
すでに国際大会の日本代表から撤退している川内だが、世界最高峰レースを制し、今後も目が離せそうにない。
』
4/18(水) 7:10配信 THE ANSWER
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180418-00021956-theanswer-spo
川内優輝、31年ぶり偉業は海を越え欧州へ
伊紙も称賛「日本人が世界王者を倒した」
男子マラソンの川内優輝(埼玉県庁)が16日、米ボストンで行われたボストンマラソンで2時間15分58秒のタイムで優勝。
日本人としての優勝は1987年の瀬古利彦以来、31年ぶりの快挙となった。
「最強の市民ランナー」の偉業は海を越えて、イタリアメディアも特集。
「日本人が世界王者を破った」と称賛している。
「カワウチ、ボストンマラソンの贈り物」
と特集したのはイタリア地元紙「トゥット・スポルト」だった。
悪天候の中での川内の魂の激走。
世界王者を破って成し遂げた偉業を、同紙は称賛をもって伝えている。
「日本人のマラソン選手が世界王者キルイを倒した。
このマラソンは極寒の中で、土砂降りの雨と風の中での優勝だった」
とレポート。
劣悪な天候の中、独走状態だった昨年大会の優勝者で、世界陸上も制しているジョフリー・キルイ(ケニア)を抜き去る逆転劇だった。
■“公務員ランナー”の異色の素顔にも注目、ギネス記録樹立も紹介
埼玉県庁に籍を置く、異色の“公務員ランナー”の横顔にも同紙は注目している。
「この日本人はセミプロの選手でありながら、2時間20分以下の最多記録でワールドギネスにも選出された。
2017年には12大会に参加し、5つのタイトルを獲得した」
今年の元日には同じくボストンで行われた「マーシュフィールド・ニューイヤーズデイ・マラソン」では氷点下17度の極限状態で2時間18分59秒をマーク。
自身76度目の2時間20分切りという世界最多記録を樹立した偉業も紹介されている。
その記録は、今回の優勝で79回に伸びた。
偉業を成し遂げた“最強の市民ランナー”川内。その名は欧州にも轟いていた。
』
『
2018.04.17 THE ANSWER編集部
https://the-ans.jp/news/21947/
川内優輝、大逃げ、失速からの大逆転V
米実況アナも嘲笑のち大興奮「信じられない」
男子マラソンの川内優輝(埼玉県庁)が16日、米ボストンで行われたボストンマラソンで2時間15分58秒のタイムで優勝。
日本人としての優勝は1987年の瀬古利彦以来、31年ぶりの快挙となった。
●ボストンマラソンで優勝した川内優輝【写真:Getty Images】
■31年ぶり快挙の川内、
大逆転劇に米実況アナウンサーも「信じられない」と大興奮
男子マラソンの川内優輝(埼玉県庁)が16日、米ボストンで行われたボストンマラソンで2時間15分58秒のタイムで優勝。日本人としての優勝は1987年の瀬古利彦以来、31年ぶりの快挙となった。
レース開始前から気温5度に届かず、強風が吹き、冷たい雨が降る厳しい環境。
棄権者が続出する中、レースは予想通り、スローペースで進んだ。
この好機を粘りが持ち味の“公務員ランナー”は見逃さなかった。
序盤、いきなり集団から飛び出すと、30メートルほど差を広げてトップを快走した。
これには思わず、レースを中継する米放送局「NBC」のアナウンサーも「ペースが速すぎる。必ず失速するだろう」と思わず嘲笑。
その予想は的中し、6キロ付近で一度は先頭集団から遅れを取った。
しかし、これが“川内劇場”の幕開けだった。
ハーフ辺りで再びスピードを上げてトップ争いに加わると、NBCのアナウンサーは「カワウチの姿が見えている。彼は踏みとどまっている」と驚きを込めて伝えた。
■優勝会見では米記者からの質問が殺到、「普段の仕事は?」「カラオケの得意曲は?」
そして迎えた終盤。
優勝争い常連のアフリカ勢が悪条件に体力を奪われ、次々とトップ争いから脱落する一方、川内は40キロをすぎた辺りから再び力強さを増した。
30キロ付近から独走していた昨年の優勝者ジョフリー・キルイ(ケニア)との差を縮め、市街地に入ったところで一気に追い抜いた。
最大1分23秒あった差をひっくり返す大逆転劇。
これには最初懐疑的だった同局のアナウンサーも大興奮。
「全く信じられない。川内がすごいことをやってのけた」と絶叫。
ゴールを駆け抜けた川内は勝利を確信すると、喜びを爆発させた。
誰もが信じがたいレース運びで優勝をさらった日本人ランナーに米記者たちも興味津々だ。
優勝記者会見では「昨年12度マラソンを走っているが、どうしてそんなにレースに出るのか」「市民ランナーということだが、普段の仕事内容は」「カラオケの得意な曲は」などと矢継ぎ早に質問が飛んだ。
女子でもデジリー・リンデンが米国女子として33年ぶりの優勝を果たすなど、男女ともに波乱のレースを象徴する結果に。
悪天候の影響でタイムは平凡だったが、中継時間の多くで画面に登場するなど日本の「最強の市民ランナー」が伝統レースの話題をさらった。
』
『
2018.04.17 THE ANSWER編集部
https://the-ans.jp/news/21921/
31年ぶり快挙の川内優輝、
最強市民ランナーに米メディアも拍手「世界に衝撃与えた」
男子マラソンの川内優輝(埼玉県庁)が16日、米ボストンで行われたボストンマラソンで2時間15分58秒のタイムで優勝。
日本人としての優勝は1987年の瀬古利彦以来、31年ぶりの快挙となった。
米メディアも“最強の市民ランナー”の快走を「世界に衝撃を与えた」と称えている。
■最強の市民ランナーが100年以上の伝統誇るボストンマラソンを制す
大雨に加えて強い風。
そんな最悪のコンディションのボストンを、最強の市民ランナーが疾走した。
スタートから飛び出し、大逃げする展開。
一度は前に出られたが、残り2キロで逆転しそのまま先頭でゴールテープを切ると、目を見開いて、天を仰ぎ歓喜の雨のシャワーを浴びた。
米スポーツ専門局「ESPN」は「ボストンで優勝したユウキ・カワウチのサプライズ」と題して、特集している。
「彼がゴールのテープを切った時の、目を見開いた壮大な笑顔が印象的だった。
ユウキ・カワウチは世界に衝撃を与えた。
彼は1987年のトシヒコ・セコ以来、ボストンマラソンを制した初の日本人となった」
31年ぶりの快挙を、“世界に衝撃を与えた”と称賛と共に伝えている。
■悪コンディションの中での涙の優勝、
米メディアは「世界に衝撃を与えた」と称賛
「そして、これはカワウチにとって初めてのメジャータイトルだ。
そして、日本のフラッグを見た瞬間に、その目に涙が溢れていたことも、印象に残る」
最強の市民ランナーとして、国内外問わず多くの大会で優勝してきた川内だが、海外の大きな大会での優勝は初めて。
レース後には感極まり、思わず涙も流したという。
「厳しい天候状況のため、優勝候補とされていたエリートたちは苦戦を強いられていた。
しかし、カワウチを見ると、むしろそんな環境が心地良さそうだった。
激しい雨や風も、彼を優勝に導く上で、味方だったのだ」
川内にとっては悪条件も関係なかった。
今年1月には気温マイナス17度という極寒レースに、全身タイツに目出し帽というスタイルで出場。
2時間20分切りを果たしていた。
2020年の東京五輪は目指さないと公言している川内だが、今後もその動向から目が離せない。
』
『
4/18(水) 17:26配信 Number Web
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180418-00830558-number-spo
川内優輝、ボストンマラソン優勝!
市民の星から「世界のKAWAUCHI」へ
路上を叩きつける雨。容赦なく吹きつける向かい風。
35kmを過ぎるとトップを走るジョフリー・キルイ(ケニア)の足がパタッと止まった。
それまでのキレのある走りは消え、ジョギングのようなスピードに落ち込んだ。
その姿を視界にとらえた川内優輝は、さらに勢いが増し、40kmでキルイを抜き去った。
「後ろを見ず、前だけを見て走った」という川内は、その後もスピードはまったく落ちず、キルイに2分半もの大差をつけてフィニッシュラインを駆け抜けた。
ゴール後はいつも倒れこむ川内もこの日はアドレナリンが全身から出ていたのだろう。
信じられないという表情を何度も見せ、倒れこむことはなかった。
表彰式でメダルとトロフィーを受け取り、『君が代』を聞く川内の目には大粒の涙が浮かんだ。
川内にとって、集大成とも言えるレースとだった。
■悪天候を逆手にレース巧者だった川内
今レースでは川内のタフな精神面とレース運びの巧みさが目をひいた。
東海岸は春の大寒波に見舞われ、マラソンどころか家から出ることもためらうような最悪の天気。
加えてスタート時の気温は5度を下回る寒さ。
しかし悪条件、特に寒さを得意とする川内は「寒さが苦手ではないので、チャンスがあると思っていた」と記者会見で話したように、チャンスと捉えていた。
スローペースを嫌う川内は、スタートから飛び出した。
6キロすぎに後続選手に追いつかれたが、その後もペースが落ちるたびに集団をリードする勇敢な走り。
スローペースで進むと、30kmすぎあたりから突然ペースが上がるケースが多い。
アフリカ勢にスピードで劣る川内にとっては、スローペースを避けるための作戦だった。
■川内の走りに一切の迷いは無かった
しかし先行する川内を吸収するたびに集団はペースを落としていた。それを嫌う川内が再びペースを上げる。
その攻防が何度か続く。
しかし川内に迷いはなく、できる限りペースを保つ努力をした。
26kmすぎから昨年覇者のキルイが集団から抜け出た際も川内は落ち着いていた。
差は一時2分近く開いたが、川内は諦めることなく前を追い続け、40kmでついに首位に立った。
向かい風がきついボストンマラソンではスタートから20kmまで先頭を引っ張った選手は勝てないというジンクスがあるが、川内はそれも打ち破って見せた。
■海外でマラソン偏差値と経験値をアップ!
海外でもマラソン経験豊富な川内が、海外のメジャー大会でデビューしたのは2013年ニューヨークシティマラソンだった。
世界陸上以外では初の大きなレースとあって、浮き足立っているように見えた。
ニューヨークはペースメーカーをつけない、いわゆる選手権スタイルで知られるが、その分、前半から細かい駆け引きが多く、消耗も大きくなる。
川内はレース中に大集団の前後をウロウロするムダな動きが多く、11位という結果に終わっている。
リベンジを狙った翌年も思うようなレースができず、同じく11位。
しかし再度のリベンジを期して臨んだ2015年のニューヨークシティマラソンでは終始落ち着いたレース運びで6位入賞を果たしていた。
■駆け引き、粘り、ズル賢さなどすべてを出し切った
ライバルの少ない地方や海外のレースでは、川内はスタートから独走になることも多い。
またペースメーカーのついた高速レースでは、自己ベストがアフリカ勢に劣る川内はタイムを狙って粘るというレース展開が多い。
そのため世界選手権やアジア大会、ニューヨークシティマラソンなどを利用して、高いレベルで駆け引きを学び続けた。
2017年8月のロンドン世界陸上の前に川内は「ニューヨークシティマラソンから学んだことはとても大きい。ランナーとして成長させてもらった。あとはレースで活かすだけ」と話していた。
世界陸上は9位で入賞を逃したが、今回のボストンマラソンで、これまでのレースでエリート選手から学んだ駆け引き、粘り、ズル賢さなどすべてを出し切り、歓喜のゴールに飛び込んだ。
■今大会では市民ランナーたちが大活躍
今レースではエリート部門は
男子は招待選手25人中14人、女子は16人中9人が途中棄権。
アフリカ勢で完走したのは男女17人中3人。
惨憺たる完走率も悪天候を加味すると「仕方ないのかな」と同情しそうになる。
しかし参加者2万5822人のうち95.5%のランナーが完走している事実を見ると、エリートランナーと市民ランナーとの違いが明確に分かる。
ボストンマラソンは参加標準タイムがあり、それを切らないと出場できない。
市民ランナーにとってボストンは夢であり、目標の舞台。
雨が降っても雪が降っても走りきる、そんなランナーがほとんどだったのだろう。
川内は持ちタイムや実績はエリート枠だが、レースに臨む姿勢は市民ランナーと同じ。
絶対に最後まで諦めないで走り抜く。
ほかの2万5821人のランナーと同じ気持ちでレースに挑んだ。
市民ランナーの夢の舞台で「市民ランナーの星」と呼ばれる川内が優勝。
女子も2位と5位のランナーは看護師、4位には高校のスペイン語教師と川内と同じ市民ランナーが入ったが、多くのマラソンファンや市民ランナーたちが自分のことのように喜んだのは言うまでもない。
■ついに「世界のKawauchi」に!
川内が本格的に海外レースに挑戦したのは2012年だが、川内はいつも世界で戦う重要性を説いてきた。
何度も大きなレースに挑戦し、破れ、涙した。
過去3回出場経験のある世界陸上では入賞に届かず、五輪は選考会で敗れた。
だが、川内は諦めず、果敢に挑戦し続けた。
日本人のボストンマラソン優勝は1987年に瀬古利彦氏以来、31年ぶり。
メジャーマラソンでは2005年の野口みずきさん以来という大快挙だ。
今回の優勝はテニスやゴルフのメジャー大会での優勝に匹敵するほどの大きな価値を持つ。
もう「たくさんレースを走っている異色の市民ランナー」ではない。
ボストンで「世界のKawauchi」として認められた。
市民ランナーとして、世界のマラソンランナー川内の次の挑戦にさらに期待したい。
』
『
4/19(木) 7:10配信 THE ANSWER
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180419-00022050-theanswer-spo
川内優輝、10月参戦の伊メディアが早くも待望「カワウチ、未来はイタリアーノ」
■参戦予定のヴェニスマラソン、伊紙は心待ち「10月に42キロのラグーンを疾走する」
ボストンマラソンで日本人として31年ぶり優勝の快挙を果たした川内優輝(埼玉県庁)。
「最強の市民ランナー」の活躍は各国で報じられるなど、一躍、海外メディアの注目の的となっているが、10月に出場するヴェニスマラソンの地元イタリア紙は「未来はイタリアーノ」と参戦を早くも待望している。
「アスリート、カワウチ 未来はイタリアーノ」と特集したのは、イタリア地元紙「ガゼッタ・デロ・スポルト」。
悪天候の中で行われた伝統のボストンマラソンで優勝した川内が、10月28日に水の都ベネチアで行われるヴェニスマラソンに参戦することを報じている。
「ボストンマラソンで優勝した日本人が10月に42キロのラグーンを疾走する」
「この日本人のマラソン選手は想像以上に有名人になろうとしている」
などと紹介している。
日本が世界に誇る「最強の市民ランナー」は今回のボストンマラソン優勝で英公共放送BBCで取り上げられるなど、一躍、ワールドクラスの有名人に。
イタリアメディアも異色のマラソン選手のベネチア上陸を心待ちにしている様子だ。
』
『
4/20(金) 9:44配信 日刊スポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180420-00184701-nksports-spo
公務員ランナー川内がプロ転向を決めた3つの理由
「最強の公務員ランナー」が転身する。
日本勢では31年ぶりにボストンマラソンを制した川内優輝(31=埼玉県庁)が19日、来年4月からプロとなる意向を表明した。
米国から到着した成田空港で関係者も驚く電撃発言。
県庁を退職して「マラソンに人生をささげる」環境をつくり、13年の自己記録2時間8分14秒を更新し、世界での活躍を目指す。
出場を否定していた20年東京オリンピックの挑戦にも含みを持たせた。
出国時は記者4人だけだった空港に、テレビも含め報道陣約20人以上が集まった。賞金15万ドル(約1650万円)の使い道を問われ、川内は唐突に述べた。
「来年4月から公務員を辞め、プロランナーに転向しようと思っています。
その資金にしようと思います。
ボストンの賞金があれば、スポンサーに関係なく3、4年は活動できる」
31歳で公務員の立場を捨て、スポンサー契約と賞金で食べていくプロへの転向。
職場に正式に伝えておらず、同便だった代理人ラーナー・ブレッド氏さえも「ここで発表するとは」と目を丸くした。
昨夏の世界選手権で9位と入賞に1歩及ばず、気持ちは傾きはじめていた。
ただ、活動資金を確保できた以外にも、転向の理由は大きく3つある。
▼記録の伸び悩み
自己記録は13年ソウル国際の2時間8分14秒から「5年以上も更新できていない」。
日本歴代1位の設楽悠や同4位の井上と比較しながら
「スピードが足りない。純粋なタイム勝負だと世界の強豪に勝てない」
と言った。
▼弟鮮輝(よしき)の存在
埼玉でともに暮らす弟は16年に会社を辞め、プロへ。
練習や合宿、治療と競技に専念し、昨年12月の福岡国際で自己記録を4分以上縮めた姿に刺激を受けた。
▼仕事の節目
埼玉県職員の川内は久喜高に勤務して5年目。
次の人事で異動する可能性が高く、練習時間を安定確保できなくなる心配がある。
副編集長を務める創立100周年記念誌も11月に完成予定と、区切りもつく。
「あの時プロになっておけばよかったと死ぬ時に後悔するのは嫌。
サインに現状打破と書きながら自己矛盾を感じていた」。
プロでは参加レース選びや合宿で自由度は高まる。
出場しない意向だった東京五輪についても「プロになって本気でマラソンに人生をささげた時、できると考えれば自信を持って挑戦したい」と含みを持たせた。
◆川内の今後レース フルマラソンは
ストックホルム(6月、スウェーデン)
ゴールドコースト(7月、オーストラリア)
ニューカレドニア国際(8月、フランス)
ベネチア(10月、イタリア)
と海外遠征を重ねる予定。
国内では22日にハーフマラソンの「ぎふ清流」に出場する。
』
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