2018年11月20日火曜日

はだしウォーキング(6):はだし散歩を始めて丁度1年、2千7百キロ

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 はだし散歩を本格的に始めたのは昨年の11月21日のこと。
 よって今日で丸々1年となる。
 この1年に歩いた距離は「2,702 km」となる。
 距離よりも、1年間ほぼ毎日飽きずに歩いたことの方が偉大に思えてならない。
 なぜそんなことができたのだろう。
 健康のためとか、レアなことへの興味だとか理由はいろいろ上げられが、それも理由の一つではあろうが、それらはどうにも胃の腑に落ちるような理由ではないように思える。
 散歩なら以前もやっていた。
 その気になって始めても、そのうち飽きてきて3日に一度とか4日に一度とかになる。
 ああ、これではだめだと気を取り直して、また頑張って始めるが、またズルになってしまう。
 これが一般的だろう。
 人間の心理というものだ。

 普通の散歩よりはだし散歩の方が過酷である。
 なのに、それが1年間もほぼ毎日のように続けられたのはどうしてだろうか。
 不思議である。
 普通の散歩だと意識というか神経は90%以上目に集まる。
 見るという行為が最大の仕事になる。
 何を見ているかだが、散歩で見ているものはほとんど動かない。
 歩みの時間列にそってゆっくり変化していくだけであって、突然風景が変わるなどというドラマチックなことは起こらない。
 よって、時間の先で、つまり今この後に何が見えるかもわかっている。
 歩きの速さ合わせてゆっくりと変わり、その延長上にある未来もほぼ100%に近いレベルで見えている。
 何時も見ている変化のない景色を見続けるのが普通の散歩の有り様になる。   

 ところがはだし散歩というとガラリと変わる。
 意識・神経のほぼすべてが足の裏に集まっている。
 目で見る風景などは動画から切り取った写真といった感じになる。
 見てはいるがほぼ見ていない。
 それよりなにより足の裏に神経が集中する。
 一歩一歩が100%の変化になる。
 未来はまったく想像できない。
 今の一歩の刺激と同じ刺激が次に来る、といったことは非常に考え難い。
 もちろん思考の上ではそう考えてはいるのだが、ここでは予想外ということが定常の有り様になる。
 たった一歩で何かが起こる。
 何かが変わる。
 大げさに言えば足の裏の痛みあるいは刺激が一歩一歩ですべて違うのである。
 次はまったく見えないのだ。
 道に散乱する木の芽や舗装のデコボコ状態で足の裏の神経は一時の休みもなく緊張を強いられる。
 気を抜けば降ろした足の裏からグリグリといったけたたましい痛みが頭を貫いてくるのである。
 はだし散歩とは神経との戦いなのである。
 普通の散歩のように楽しむなんて要素はない。
 もちろん、痛みに耐えることが快感ということもあるだろうが。
 痛みに耐え、時間に耐え、神経との戦いに挑む
といったところがはだし散歩の神髄なのかもしれない。
 この神経戦に挑むという快感に向けて、はだし散歩を飽きずにやっているのかもしれない。

 1年記念に何か撮れるかもしれないと思ってカメラを持って出た。
 夏の訪れを聞くようになると、鳥の動きが活発になる。
 いろいろな鳥を目にするようになる。
 トカゲも動き出す。
 そんなところが被写体になり、1年記念映像になるかな、と思っていたのだが。
 でもドラマは起こった。 
 一輪車のオッサンをとらえることができた。
 このオッサンとは朝夕に時々会う。
 昨日の夕方も6時頃に出会い挨拶を交わしている。
 今日のスタートは朝の7時ころだから、出会ったのは7時半頃であろうと思う。
 どうもこのオッサン、一輪車で通勤しているようである。
 自転車通勤というのは、緑道なのでそこそこに出会う。
 学生ならスケボーも多い。
 でも一輪車というのはこの人だけである。
 体中イレズミだらけ。
 これまで怖いのですれ違うな、と思ったら目を合わせないようにうつむいて歩くようにしていた。
 ところがつい最近、オッサンから声をかけてきた。
 なら答礼しないとヤバイだろうということで声を交わすことになった。
 カメラを回しながら歩いていたら、何か雰囲気を感じた。
 チラッと後ろをみたら、一輪車が目に入ってきた。
 これは好運である。
 「1年祝いの人物」は、イレズミだらけの一輪車オッサンとなった。
 鳥よりもはるかに思い出になる。
 「記念作品に出てくれてオッサンありがとう」である。
 ちなみに、最も撮りたかったのは、まれにであるが女性がはだしで歩いていることがある。
 犬をつれてだが。
 これを撮れれば金賞ものだったのだが。

 足はどうかというとこんな感じ。
 地面と接する部分はツルツルになるがその横、つまり土手の部分はゴワゴワになり、指で皮膚をむしっている。



 でもまったく痛くない。
 そしてハサミでチョッキンチョッキン切っている。
 ゴワゴワになると軽石で擦り削っている。
 
 なを、「歩け、はだし3千キロ!」というタイトルを掲げているが、これは昨年12月始めから今年の12月末日までの13カ月間の目標である。
 昨年12月からだと今日まで「2,660 キロ」になる。
 ということはあと40日で340kmということが目標になるということでもある。
 普通ならいかれるが、何かがありそうな昨今の状況だとギリギリといった感じでもある。
 予定外のことが出来すると、危うくなる可能性が高くなる。
 でも大丈夫、と心を落ち着けないといけない。
 もう一つ、2018年度(2018/01/01-----2018/12/31)の年間はだし距離は上記の距離(2,660km)から2017年12月の[246km]を減じたもので、今日時点では「2,414 キロ」になる。
 12月末までに340km歩けると想定すると年間の距離数は「2,754km」になる。
 つまり昨年11月21日からの一年よりも50kmほど長くなる勘定になる。

 歩いているのはビジラウオータークリーク・グリーンウエイの一部で片道2キロ少々の部分を使っている。
 この2キロに休みどころのベンチが一つとしてない。
 一つはあるのだが、これは遊歩道脇のバスケットコートのためのものである。
 でもその場所は北の折り返しになるオルセン・アベニューに近いところである。


● 緑道唯一のベンチ、ただしバスケのためのもの、手前の道はガーバメント・ロードである

 よって疲れたときは丸太で作った低い柵や、少し匂うが下水管の蓋の上に腰かけて休むことが多い。
 動画の映像の先頭部分に出てくる赤いネットで囲まれたところは、おそらくここに休憩用のベンチが作られるのではないかと勝手に想像するのだが。
 もしそうなら、ちょっと腰を下ろして休めることになる。
 3か所ほどで昨日から工事がはじまっている。
 本当にベンチがしつらえられるのか、すぐにわかるだろう。
 
【12月01日】
 はだし散歩のオネエさんに会った。
 ちょうどカメラを持っていたので撮った。
 といっても前から撮るわけにもいかなので、後ろ姿だが。


 遊歩道横の家の人でときどき犬の散歩をさせるときにはだしになるようである。
 距離的には1キロ強といったところだろう。
 カメラを持っていた時に出会うことができたという好運で、女性の中にもはだしで散歩する人がいる、ということを証明できた。
 この人以外にも乳母車を押しているはだしの女性もいる。
 女性の場合はジロジロみるわけにもいかないので、すれ違ったときはじめて「はだしだ!」と気がつくことが多い。


● ベンチの設営も終わっている

 繰り返すが項目タイトルの「歩け、はだし3千キロ!」は昨年12月01日から今年の12月31日までの13カ月間の目標である。
 昨日でそのうちの12ケ月分が終わった。
 この間の距離は「2,750 km」になる。
 今日からの1カ月間で「250 km」歩けば目標達成になる。
 普通にいけば楽に達成できる距離であるが、何しろ12月なので何があるかわからないのが一抹の不安である。
 歩きを休む要件は3つである。
1」:天候が悪い時
2」:所用がある時
3」:体調がすぐれない時
である。
 12月はこのうち「所用がある」の条件が大きくなってくる。





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