現在日の出は4時45分頃である。
その日の出をみながら走り始めたのだが。
どうも体がおぼつかない。
ときによろめくような感じに襲われる。
そして右股関節のうち側に軽い痛みを感じる。
どうする。
どうするもない、気分的に走る気を失っている。
まだ500メートルも行っていない。
リタイヤ距離の新記録である。
天気もいいし、日の出の風景もいい。
散歩でもしてみるか、とはまったく考えなかった。
「だめだ!」である。
「老化ステージ・2」にどっぷり嵌っている。
帰ってきてベッドにもぐりこむ。
一年くらい前は朝方走ったあと、はだし散歩に出かけたが、最近は走った後の午前中はの散歩はやめている。
今日は走っていないので、歩くことになるわけだが。
6時半ころ目を覚まさす。
いつものように7時に歩きにいく予定であるのだが。
でも起きられない。
また寝る。
体に若干の異変が起きているのは分かっているが、さほどに大仰なものでもない。
疲れか、その程度のものであろう。
8時半に起きる。
まだ寝られるが、無理にでも起きる。
午前中歩きにいくにはこのくらいに起きておかねばならない。
体はすっきりしない。
歩きに行くべきか、やめるべきか、である。
体の具合をみるために1時間ほどだらだらしていて、9時半過ぎに出かけた。
もしダメならやめればいい。
2キロでも3キロでも、行かれるところまでいこうというほとんどいい加減のやっつけで家を出る。
このところサッツサッツと歩くことができない。
ユックリでもなくチンタラチンタラである。
足が動かないのである。
今日も同じ。
散歩というのは日頃運動に無縁の人がするもので「健康のために」という要素が強いので、健康アドバイザーの多くが速歩を進めている。
体に負荷をかけることで健康維持を目指している。
その説に沿うと、私の散歩は「ムダ・無意味」になる。
せいぜいやらないよりは多少マシ程度になる。
私のは健康のために散歩をするのではなく、どの程度の健康状態にあるのかを計るための散歩である。
この時期だとこの時間の陽射しはきつい。
今日は風があるので暑さは和らげられている。
昨日、一年の節目を迎えたはだし散歩だが、なんとなく今日は歩いている。
なんとなく歩き、なんとなく時間が過ぎ、なんとなく5kmを歩いてしまった。
「老化ステージ・2」だが、プラプラ歩きには支障はないようだ。
まあ、歩きに支障がでるようなら、もうこれはおお事になるが。
5キロで1時間半近くかかってしまったが。
さて、今日のリタイヤということは明後日の再度の挑戦ということになるのか、それとも今週はヤメになるのか、その日がきてみないとわからない。
夜、体重を計った。
体重計にはめったにのらないのだが、今日はなんとなく計ってみた。
「47kg」、これには驚愕した。
ゼロ調整をして繰り返したが変わらない。
なんでこんなに軽い。
古い体重計なので少々ヘタッているということも考えられるのだが。
私の体重はいつもは50kgから52kgの間を動いている。
だいたい51kgが標準になっている。
マラソン練習などで絞り込み、食事調整などをすると50kgを切ることはある。
それでも49kgを下回ることはほとんどない。
それがアッサリ47kgである。
こんなことがありえるか?
これ、何かおかしい!
手元にある2リッターの箱酒を3本秤にかけてみたら6kgである。
紙箱の重さは無視していいとおもうので、体重計はそこそこ正常に動作しているように思える。
とする、実際に私の体重が減ったことになる。
運動量が増えたわけでもなく、食事の量が減ったわけでもない。
なのに51kgが47kgに減るというのは極端すぎないか。
年をとると筋肉がそげ、骨が縮むというのはありふれた現象である。
老人になると体が小さくなるというのは当たり前のことではあるが、こうも極端に出るものなのであろうか。
出なくても小さい体がさらに小さくなるということである。
しかし、この数値は異常である。
もし身長計があって、背丈が対応するように縮んだというのなら納得できるのだが。
身近にそれはない。
新しい体重計を買って計りなおしてみようかとも考えている。
体が縮むということは、脳も縮むということである。
スマホが届いて、息子に使い方をレクチャーしてもらっている。
スマホは小さいのにパソコンレベルの機能が満載されている。
形が小さいのに機能が大きいということは、その橋渡しをする操作方法は複雑化するしかない。
とても覚えきれない。
若い人なら問題なかろうが、脳が縮み始めた老人にとってこれは過酷である。
必要なものだけ覚えて、あとの機能は捨てる、ということでしか対応できない。
それでもオペレーションは大変である。
慣れるしかないということだろうか。
体重の変化は、確認しないといけないだろう。
脳の大きさは計り様がない。
【ミジー対策?】
部屋の中に本当に小さなムシが飛んでいる。
普段なら気が付かないほどの小ささである。
初めは目のなかに影のようなものが出る飛蚊症かと思ったが、そうではなく実際に虫が飛んでいる。
ミジー(midge ミジ)である。
下の写真で左が蚊、右が蠅、下がミジーである。
http://www.butox-info.com/ectoparasites/morphology-culicoides.asp
サンドフライなので内海沿いにいる。
ここは内海から2キロ離れているので、これまで出なかったのだが、昨年あたりから家の中で見かけるようになった。
最初、なんだかわからなかったがあちこち刺されてミジーだと知れた。
首筋、腕、足、腹などいろいろである。
ミジーを寄せ付けない植物があるというので、それをもらってきた。
枝の一切れなのだが、それをコップにさしておいたら、根が出てきた。
そこでポットに植え替えて、せっせと水をやった。
話によると、この植物から出る匂いをミジーが嫌って寄り付かないということらしい。
たしかに若干の匂いがする。
といっても注意して分かる程度の匂いだが、小さい図体のミジーには影響があるかもしれない。
だがである。
やっぱり、家のなかでときどき飛んでいる虫をみかける。
どうみてもミジーである。
人の話は話半分で聞いた方がいいのかもしれない。
話半分でも、その分効けばそれにこしたことはない。
さてこの植物の名前は知らないのだが写真のようになかなかきれいな花が咲く。
これはめっけもののオマケである。
これだけでもこの植物を育てる甲斐があるというものである。
それでミジーが近づかないようになれば一石二鳥となるのだが。
匂いの話だが移住してきたころ、こちらの女性のそばにいくのがきつかった。
すごい匂いなのである。
香水である。
安物のハデハデ匂いの香水をぶちまけるようにかけている。
すれ違うだけでその匂いが飛んできて気持ちが悪くなったほどである。
よくあんなのに男性が黙っているのかと思ったほどである。
こちらの人はそらく匂い音痴なのであろう。
ほのかな香りを好む日本人には到底耐えられない臭さである。
ところが最近、そんな女性に出会うことがひどくマレになった。
時の流れとともにワールドワイド化して自制するようになったのかもしれない。
資生堂をはじめとする日本化粧品メーカーも出店してきている。
中国人の大量進出で習慣が変わってきたのかもしれない。
中国女性は化粧しない。
スッピンのまま外へ出ていく。
香水などまるでない。
香水はなくていいが、ファンデーションくらいはしろよ、と言いたくなるのだが。
この地のアジア人は圧倒的に中国人だから、それが社会の慣習になりつつあるのかとも思う。
匂いの話をもう一つ。
息子はフォードに乗っている。
この車、わずかに匂うのである。
おそらくは接着剤の匂いではないかと思う。
昔のことだが、娘は友達のお父さんの車に乗るのをひどく嫌ったことがある。
フォードであった。
娘はひどく匂いに敏感であったのである。
いまの日本の接着剤にはまったく匂いがない。
もし匂いがあったらおそらくその車は売れないだろう。
もし、フォードとトヨタを乗り比べてどちらを選ぶかといえばトヨタである。
その理由の一つに匂いを上げることができるかもしれない。
そのせいではないだろうが、いまのままではフォードは日本では売れないだろう。
ところがそうでもないのである。
オーストラリアには日本では思いもよらない実に小さな生き物もたくさんいるのである。
たとえばアリ。
日本の住宅地には主にオオアリとコアリの2種類がいる。
ここには小アリの1/3くらいの小さな蟻がいる。
デジカメで撮るには小さすぎる。
これが生活上の普通のアリになる。
台所などには頻繁にいて、ここの人は食器についた蟻をふるい落としてそのまま使う。
名前はしらないので「イエアリ」と呼んでいるが、砂糖など置き忘れると翌朝はビッシリである。
ハチミツなどは格好の標的である。
私の一日はジンジャー・レモン味の茶葉にハチミツを入れた紅茶を飲むことからはじまる。
だが間違ってハチミツを出しっぱなしにするとハチミツが黒ミツに変わってしまう。
よって、写真のように水の入った器に入れてアリを近づけないようにしておく。
ちなみに小アリは日本と同じで外にいる。
日本にはたくさんの種類のセミがいる。
オーストラリアで普通にみるセミは1種類でツクツクボウシより少し小さめの、羽の透き通ったセミである。
1種類だから、セミの声も1種類である。
日本なら、ミンミン、アブラ、ニイニイ、オーシンツクツクと少なくとも4種類を聞くことができる。
このセミにも極小版が存在するのである。
それがこれ。
右は人差し指である。
自分の人差し指の指先を眺めてください。
いかに小さいセミであるかわかるでしょう。
初めてこのセミにあった時は、こんなセミもいるのかと「ホー」と感心したものである。
話を戻すと、せっかく可憐な花が咲いたのだが、ときどき部屋の中でミジーを見ることがある。
花の匂いの効力はどうなのだだろうか。
移住してきた直後と比べると、長い生活でミジーへの抗体もできていて、刺されてもさほど痒みに悩まされることはなくなっているのだが。
【追】
「NICHIGO PRESS」の12月号にミジーの記事が載っていた。
【参考】
『ここは内海から2キロ離れているので、これまで出なかったのだが、昨年あたりから家の中で見かけるようになった。
最初、なんだかわからなかったがあちこち刺されてミジーだと知れた。
首筋、腕、足、腹などいろいろである。
ミジーを寄せ付けない植物があるというので、それをもらってきた。
枝の一切れなのだが、それをコップにさしておいたら、根が出てきた。
そこでポットに植え替えて、せっせと水をやった。
話によると、この植物から出る匂いをミジーが嫌って寄り付かないということらしい。
たしかに若干の匂いがする。
といっても注意して分かる程度の匂いだが、小さい図体のミジーには影響があるかもしれない。
だがである。
やっぱり、家のなかでときどき飛んでいる虫をみかける。
どうみてもミジーである。
人の話は話半分で聞いた方がいいのかもしれない。
話半分でも、その分効けばそれにこしたことはない。
さてこの植物の名前は知らないのだが写真のようになかなかきれいな花が咲く。
これはめっけもののオマケである。
これだけでもこの植物を育てる甲斐があるというものである。
それでミジーが近づかないようになれば一石二鳥となるのだが。
匂いの話だが移住してきたころ、こちらの女性のそばにいくのがきつかった。
すごい匂いなのである。
香水である。
安物のハデハデ匂いの香水をぶちまけるようにかけている。
すれ違うだけでその匂いが飛んできて気持ちが悪くなったほどである。
よくあんなのに男性が黙っているのかと思ったほどである。
こちらの人はそらく匂い音痴なのであろう。
ほのかな香りを好む日本人には到底耐えられない臭さである。
ところが最近、そんな女性に出会うことがひどくマレになった。
時の流れとともにワールドワイド化して自制するようになったのかもしれない。
資生堂をはじめとする日本化粧品メーカーも出店してきている。
中国人の大量進出で習慣が変わってきたのかもしれない。
中国女性は化粧しない。
スッピンのまま外へ出ていく。
香水などまるでない。
香水はなくていいが、ファンデーションくらいはしろよ、と言いたくなるのだが。
この地のアジア人は圧倒的に中国人だから、それが社会の慣習になりつつあるのかとも思う。
匂いの話をもう一つ。
息子はフォードに乗っている。
この車、わずかに匂うのである。
おそらくは接着剤の匂いではないかと思う。
昔のことだが、娘は友達のお父さんの車に乗るのをひどく嫌ったことがある。
フォードであった。
娘はひどく匂いに敏感であったのである。
いまの日本の接着剤にはまったく匂いがない。
もし匂いがあったらおそらくその車は売れないだろう。
もし、フォードとトヨタを乗り比べてどちらを選ぶかといえばトヨタである。
その理由の一つに匂いを上げることができるかもしれない。
そのせいではないだろうが、いまのままではフォードは日本では売れないだろう。
本当かどうか知らないがミジーは網戸の網を通り向ける小ささともいわれている。
オーストラリアというと、なんでも大きなものを想像する。
「小さな島国日本と大きな島国オーストラリア」という対比が強烈に脳裏に刷り込まれているからである。
とすると、ミジーなどはこの通念の対極に位置することになる。オーストラリアというと、なんでも大きなものを想像する。
「小さな島国日本と大きな島国オーストラリア」という対比が強烈に脳裏に刷り込まれているからである。
ところがそうでもないのである。
オーストラリアには日本では思いもよらない実に小さな生き物もたくさんいるのである。
たとえばアリ。
日本の住宅地には主にオオアリとコアリの2種類がいる。
ここには小アリの1/3くらいの小さな蟻がいる。
デジカメで撮るには小さすぎる。
これが生活上の普通のアリになる。
台所などには頻繁にいて、ここの人は食器についた蟻をふるい落としてそのまま使う。
名前はしらないので「イエアリ」と呼んでいるが、砂糖など置き忘れると翌朝はビッシリである。
ハチミツなどは格好の標的である。
私の一日はジンジャー・レモン味の茶葉にハチミツを入れた紅茶を飲むことからはじまる。
だが間違ってハチミツを出しっぱなしにするとハチミツが黒ミツに変わってしまう。
よって、写真のように水の入った器に入れてアリを近づけないようにしておく。
ちなみに小アリは日本と同じで外にいる。
日本にはたくさんの種類のセミがいる。
オーストラリアで普通にみるセミは1種類でツクツクボウシより少し小さめの、羽の透き通ったセミである。
1種類だから、セミの声も1種類である。
日本なら、ミンミン、アブラ、ニイニイ、オーシンツクツクと少なくとも4種類を聞くことができる。
このセミにも極小版が存在するのである。
それがこれ。
右は人差し指である。
自分の人差し指の指先を眺めてください。
いかに小さいセミであるかわかるでしょう。
初めてこのセミにあった時は、こんなセミもいるのかと「ホー」と感心したものである。
話を戻すと、せっかく可憐な花が咲いたのだが、ときどき部屋の中でミジーを見ることがある。
花の匂いの効力はどうなのだだろうか。
移住してきた直後と比べると、長い生活でミジーへの抗体もできていて、刺されてもさほど痒みに悩まされることはなくなっているのだが。
【追】
「NICHIGO PRESS」の12月号にミジーの記事が載っていた。
【参考】
飛蚊症ってどんな症状
「飛蚊症(ひぶんしょう)は心配ない」って、ホント?
中高年に起こりやすい目の障害のなかで、最も多くみられるのが「飛蚊症(ひぶんしょう)」です。
青空や白い壁などを見ているとき、目の前を小さな虫か糸くずのような影が動くように感じたことはありませんか。蚊が飛んでいるようにも見えることから、飛蚊症と呼ばれています。
』
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