トライアスロンとマラソンのパンフレットが郵便箱に入っていた。
一部をコピーして載せておきます。
■トライスロン
■マラソン
女子が朝の7時20分スタート、55分遅れて男子の順になる。
北の折り返しポイントはランドエンド・ブリッジを越えた少し先になる。
上の図1の丸く膨らんだところがランドエンド・ブリッジの北詰め(向こう側)になる。
路面は青色のコースラインが引かれている。
● ちょっと見えにくいが青色の破線でマラソンラインが引かれている
■ 男子マラソン:スタート am 8:15 最終走者ゴール予想 11:15
日本の選手が走るわけではないので、テレビ観戦になる。
それの方がレース全体を見ることができる。
ケニヤが入っているので、おそらくそれで決まりだろうと思われる。
ただ、賞金レースではないので、どれほどの実力者がくるのだろうか。
いろいろ検索してみるが出場者リストが出てこない。
前回優勝したマイケル・シェリーはどこまでやれるか。
彼はゴールドコースト出身なので期待は大きいのだが。
それの方がレース全体を見ることができる。
ケニヤが入っているので、おそらくそれで決まりだろうと思われる。
ただ、賞金レースではないので、どれほどの実力者がくるのだろうか。
いろいろ検索してみるが出場者リストが出てこない。
前回優勝したマイケル・シェリーはどこまでやれるか。
彼はゴールドコースト出身なので期待は大きいのだが。
『
https://www.youtube.com/watch?v=XcXd7m7DHlY
2014 コモンウエルス・ゲーム:マラソン優勝 マイケル・シェリー
』
なをこの動画にでてくるくりくり坊主の解説者はロバート・ド・キャステラである。
【モネゲッテイがいた!:2018/03/25】
夕方、いつものようにビジラクリーク緑道ではだし散歩をしていた。
後ろから追い抜いていったランナーがいる。
遊歩緑道なのでいつも数人ほどのランナーに出会う。
顔見知りのオッサンもいて、「ハロー」と声を掛け合う。
しかし、今日のこの人は常連ではない。
というより、素人ランナーではない。
ゆっくり走っているが基礎のしっかりしたランニングスタイルである。
後ろ姿はどこかでみたような?
肩をいからした独特な走り方。
そうだ「モネゲッテイだ!」
オーストラリアのランナーといえば伊藤国光と死闘を演じた「ド・キャステラ」が有名だが、ちょっと古すぎる。
やはり私の年代なら「ステーブ・モネゲッテイ」だろう。
6時を過ぎると暗くなる。
老眼なので日が暮れると良くみえなくなる。
あと100mも歩けば今日の5kmのはだし散歩は終了になる。
向こうから誰か走ってくる。
ボーっと揺れるような影が近づいてくる。
すれ違うまでほとんどシルエットだけ。
ウー、あの長い顔、やはりモネゲッテイだ!
どこかで折り返してきたのだ。
気づいて声をかけようと思ったら、はるか先に行っていた。
2,3日前にも一度すれ違っている。
このときは何か異質の人だな、としか思わなかった。
ということは今日で会ったのは2回目ということになる。
なぜここにモネゲテッイがいる?
コモンウエルス・ゲームか。
彼はこのゲームの役員かもしれない。
とすれば、緑道近くにある大会選手村に宿をとっている可能性も大きい。
日々の習慣で一日一度は走らないと、ということでここをジョギングコースに使っているのかも。
テレビ局の解説者ならサーファーズパラダイスのホテルに宿泊しているはずで、こんなところを走っているわけがない。
てなことを思ってしまった。
以前、ゴールドコースト・マラソンでリー・トループが優勝したとき、彼がインタビューしていた。
トループのコーチはモネゲッテイであった。
また昨年、ゴールドコースト・トライアスロンが行われたときも、彼がコメンテーターであった。
このときも彼の姿を見ている。
ブリスベン在住の著名なマラソンランナーはパット・キャロルである。
日本でも結構走っているので名前を聞いた人もいるだろう。
いつだったかの千葉国際駅伝ではモネゲテイが急に参加できなくなり、キャロルが代ってアンカーを務めたこともある。
このとき若きマイケル・シェリーも走っている。
チラッとしか日本のテレビには映らなかったが。
つまり、ド・キャステラ=モネゲッテイ=キャロル=マイケル・シェリーとオーストラリアのマラソン系譜はつながっているのである。
パット・キャロルとはずいぶん昔に、クイーンズランド・ハーフマラソンを一緒に走ったことがある。
といっても、私は倍時間かかったので並走するなんてことは全くなかったが。
ゴールドコースト・マラソンには彼のブースがある。
今年も出ていたら載せてみましょう。
【3月29日】
いつものように夕方はだし散歩をしていた。
彼が来た。
「モネゲッテイ!」
と声をかけたら、
「ハロー」
と言って、手を挙げて応えてくれた。
ということは帰りがけにも会うはずだと思って薄暗闇に眼をこらしていたら、やってきた。
声はかけずに手だけ振った。
今度は何か言って手を振ってくれた。
すれちがいなので、何を言ったのかはわからなかった。
【4月01日】
ランナーが来た。
薄暗くわかりにくかったが、「ハロー」と向こうから声をかけてきた。
手を出してくれたので、私も出してパチンとすれ違いのハイタッチである。
今日はエプリルフールだが、これは本当の話である。
スチーブ・モネゲッテイは現役の選手ではない。
今は昔のランナーである。
それが彼の国の小さなシテイの小さな町の遊歩道で見知らぬ東洋系に名前を呼ばれたことで少なからず感動したのであろう、と勝手に思う。
向こうから声をかけてきて、さらに手など出してきてくれるのだから。
そうでなければ、私などはすれ違う幾多のウオーカーの一人にすぎない。
モネゲテイと言っても知らない人はしらないだろう。
日本版のウイキペデイアにはないので、略歴を載せてみる
『
●1962年9月生まれ 55歳
●ソウル、バルセロナ、アトランタ、シドニーと4大会連続のオリンピック・マラソン出場
●1988年 ソウル・オリンピック5位
●1990年 ベルリンマラソン優勝 (2:08:16 彼のベスト記録)
●1993年 東京国際マラソン2位
●1994年 東京国際マラソン優勝
●1997年 アテネ世界陸上3位
●2000年 シドニーオリンピック10位
』
モネゲッテイの動画を検索したのだが、出てきたのは1本だけ。
1991年の世界陸上である。
『
https://www.youtube.com/watch?v=-_mH7QnJFNg
19'91世界陸上 東京大会 谷口浩美 男子マラソン
ということは古き東京の風景でもある。
解説は伊藤国光である。
【南の島の 2018】https://www.youtube.com/watch?v=XcXd7m7DHlY
2014 コモンウエルス・ゲーム:マラソン優勝 マイケル・シェリー
』
なをこの動画にでてくるくりくり坊主の解説者はロバート・ド・キャステラである。
夕方、いつものようにビジラクリーク緑道ではだし散歩をしていた。
後ろから追い抜いていったランナーがいる。
遊歩緑道なのでいつも数人ほどのランナーに出会う。
顔見知りのオッサンもいて、「ハロー」と声を掛け合う。
しかし、今日のこの人は常連ではない。
というより、素人ランナーではない。
ゆっくり走っているが基礎のしっかりしたランニングスタイルである。
後ろ姿はどこかでみたような?
肩をいからした独特な走り方。
そうだ「モネゲッテイだ!」
オーストラリアのランナーといえば伊藤国光と死闘を演じた「ド・キャステラ」が有名だが、ちょっと古すぎる。
6時を過ぎると暗くなる。
老眼なので日が暮れると良くみえなくなる。
あと100mも歩けば今日の5kmのはだし散歩は終了になる。
向こうから誰か走ってくる。
ボーっと揺れるような影が近づいてくる。
すれ違うまでほとんどシルエットだけ。
ウー、あの長い顔、やはりモネゲッテイだ!
どこかで折り返してきたのだ。
気づいて声をかけようと思ったら、はるか先に行っていた。
2,3日前にも一度すれ違っている。
このときは何か異質の人だな、としか思わなかった。
ということは今日で会ったのは2回目ということになる。
なぜここにモネゲテッイがいる?
コモンウエルス・ゲームか。
彼はこのゲームの役員かもしれない。
とすれば、緑道近くにある大会選手村に宿をとっている可能性も大きい。
日々の習慣で一日一度は走らないと、ということでここをジョギングコースに使っているのかも。
テレビ局の解説者ならサーファーズパラダイスのホテルに宿泊しているはずで、こんなところを走っているわけがない。
てなことを思ってしまった。
以前、ゴールドコースト・マラソンでリー・トループが優勝したとき、彼がインタビューしていた。
トループのコーチはモネゲッテイであった。
また昨年、ゴールドコースト・トライアスロンが行われたときも、彼がコメンテーターであった。
このときも彼の姿を見ている。
ブリスベン在住の著名なマラソンランナーはパット・キャロルである。
日本でも結構走っているので名前を聞いた人もいるだろう。
いつだったかの千葉国際駅伝ではモネゲテイが急に参加できなくなり、キャロルが代ってアンカーを務めたこともある。
このとき若きマイケル・シェリーも走っている。
チラッとしか日本のテレビには映らなかったが。
つまり、ド・キャステラ=モネゲッテイ=キャロル=マイケル・シェリーとオーストラリアのマラソン系譜はつながっているのである。
パット・キャロルとはずいぶん昔に、クイーンズランド・ハーフマラソンを一緒に走ったことがある。
といっても、私は倍時間かかったので並走するなんてことは全くなかったが。
ゴールドコースト・マラソンには彼のブースがある。
今年も出ていたら載せてみましょう。
【3月29日】
いつものように夕方はだし散歩をしていた。
彼が来た。
「モネゲッテイ!」
と声をかけたら、
「ハロー」
と言って、手を挙げて応えてくれた。
ということは帰りがけにも会うはずだと思って薄暗闇に眼をこらしていたら、やってきた。
声はかけずに手だけ振った。
今度は何か言って手を振ってくれた。
すれちがいなので、何を言ったのかはわからなかった。
【4月01日】
ランナーが来た。
薄暗くわかりにくかったが、「ハロー」と向こうから声をかけてきた。
手を出してくれたので、私も出してパチンとすれ違いのハイタッチである。
今日はエプリルフールだが、これは本当の話である。
スチーブ・モネゲッテイは現役の選手ではない。
今は昔のランナーである。
それが彼の国の小さなシテイの小さな町の遊歩道で見知らぬ東洋系に名前を呼ばれたことで少なからず感動したのであろう、と勝手に思う。
向こうから声をかけてきて、さらに手など出してきてくれるのだから。
そうでなければ、私などはすれ違う幾多のウオーカーの一人にすぎない。
モネゲテイと言っても知らない人はしらないだろう。
日本版のウイキペデイアにはないので、略歴を載せてみる
『
●1962年9月生まれ 55歳
●ソウル、バルセロナ、アトランタ、シドニーと4大会連続のオリンピック・マラソン出場
●1988年 ソウル・オリンピック5位
●1990年 ベルリンマラソン優勝 (2:08:16 彼のベスト記録)
●1993年 東京国際マラソン2位
●1994年 東京国際マラソン優勝
●1997年 アテネ世界陸上3位
●2000年 シドニーオリンピック10位
』
モネゲッテイの動画を検索したのだが、出てきたのは1本だけ。
1991年の世界陸上である。
『
https://www.youtube.com/watch?v=-_mH7QnJFNg
19'91世界陸上 東京大会 谷口浩美 男子マラソン
』
1991年というと四半世紀も昔の話で若い若いモネゲテイの映像である。ということは古き東京の風景でもある。
解説は伊藤国光である。