2018年12月28日金曜日

はだしウォーキング(8):13ケ月、3,000キロ 達成 !!

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【12月28日】


● 裸足散歩をはじめたときからの相棒がこのピンクのキャップである。
 陽射しに曝され色褪せ、雨に打たれてよれよれだが、型崩れも起こさずに耐えている。
 ちなみにユニクロ製である。
 もう少し頑張ってもらいたいと思う。

 昨年12月初めから、今年12月末までの13ケ月間ではだし散歩3,000キロを達成する。
 今日がその達成日になった。
 13ケ月を正確にはかると大晦日まではあと2日半残っているので、これに20km弱ほど加算した数値となるのだが、ここは3,000キロで表現する。
 でもまあ、よくはだしで歩いたものだと思う。
 はだし散歩を始めた高揚感でこの一年を一気に歩き切った、といった感じがする。
 特に、冬場は歩けないのではないかと思っていたが、やはりゴールドコーストは暖かい。
 1,000キロ、2,000キロと目標を立てて、最後の大目標が3,000キロである。
 目標を立てたから歩き切れたのかもしれない。
 歳のせいだろうはだしで一日10km歩くというのは疲労感が大きく、こんなことはもうできないのではないだろうか。
 7月にはハーフマラソンで4年目にしてやっとキロ6分(2時間06分)を切れたし、
 今月は3,000キロを歩きで達成したしで、
 おそらく老齢期の最後の輝きということになり、もっとも華やかな一年になったのかもしれない。
 そんな気がしているのだが。
 
 ところで「3,000キロ」とはどのくらいかというと、北海道の北端宗谷岬から沖縄与那国島まで直線で「3,140km」だそうである。
 ちなみに弓状の本州を弓なりに計ってみると「1,356km」だそうである。
 3,000キロとは本州を往復してもお釣りがくる距離になる。
 そんな距離をはだし散歩できてしまうオーストラリアがすごい、ということに感激してしまう。


  最近夏場になってよく見かけるのがコカツー(Sulphur-Crested Cockatoo)である。
 姿かたちは実に美しいのだが、なにぶん声が悪い。
 すこぶるの悪声である。
 大きくけたたましくうるさい。
 耳をふさいで見るだけなら、うっとりしてしまうのだが。




【12月31日 2018年度 2,770km】
  2018年度、つまりことしの1月から12月までの1年間のはだし散歩距離をまとめると下記のようになる。

2018年01月   261 km
    02月   202 km
    03月   257 km
    04月   166 km
    05月   228 km
    06月   196 km

    07月   185 km
    08月   275 km
    09月   250 km
    10月   204 km
    11月   280 km
    12月   266 km
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 2018年度計   2,770 km

 老齢期に慢性疲労をため込むのは勧められる行為ではないだろう。
 一日10km歩けば、とくはだしで歩けば、嫌がおうにも疲労は溜まる。
 以前はすぐに「こむら返り」をしていた。
 横になって足をグーと伸ばすといっぺんにこむら返り(足のつり)になる。
 よってベッドに入ったときは絶対に足を伸ばさないようにしていた。
 はだし散歩をはじめてこのこむら返りの症状がまったく消えた。
 いくら足をガンガン伸ばしてもフクラハギが硬直してつることはなくなったのである。
 ところが最近、このこむら返りが出るようになった。
 グーと伸ばしてちょっと別の角度からひねってやると、つるようになった。
 思うに慢性疲労でフクラハギの筋肉から柔軟性が失われているのではないだろうか。
 逆に言うと、こういう症状が出てきているということは、足の疲労がため込まれて抜けることができずに悲鳴を上げているということであろう。
 フクラハギの警報だとみていいように思える。
 このままではいけない。

 疲労をため込まないように歩くには相応の対策がいる。
 リストすると
1」:距離を短くする
2」:疲労を抜くために時々歩かない日を設ける
3」:歩くときはできる限りゆっくりとし、足や体に負担がかからないようにする
といったところか。
 もしこのことを来年実行したとするとどうなる。
 散歩距離は大幅に低下するだろう。
 おそらく今年の6割くらいになる。
 2,770kmの6割というと1,700km弱ほどになる。
 つまり、来年は今年より1千キロ減る、という勘定になる。
 今年があまりに異常の年だった
といってもあながち間違ってはいないのだろう。
 ということは我が肉体にとって、今年は人生最後の輝きの年、だったということでもある。
 終齢期最後の華であったかも。





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